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zoom RSS 宗教(その一) 『よりよい社会へ』より

<<   作成日時 : 2009/10/18 18:41   >>

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 実践倫理宏正会は宗教かということで内外の見方が異なります。
『よりよい社会へ 実践倫理講座地の巻』から、宗教について説明した文を引用します。
全部で三講に分かれます。

(引用開始)
第21講 宗教(その一)

 人類の最終戦争は宗教戦争だという学者がいます。パレスチナやアフガニスタン、イラクなどの紛争はその現れだとする人々もいます。今、再び宗教の意味が問われています。

 日本人の信仰心

 日本人には「信仰心」がなくなったとよくいわれます。たしかに核家族化の進行とともに、家庭から仏壇や神棚が姿を消していきました。ふだん神社仏閣を訪れる人のほとんどは観光目的で、信心のためではありません。自分の家の宗旨さえ知らない人たちも増えています。
 しかし、私たちの日常生活を子細に見れば、まだ多くの宗教的なしきたりが、しっかりと根づいています。結婚式は神道式かキリスト教式で、葬式は仏教式で行うのが普通です。初詣にお彼岸にお盆、年忌法事や墓参り、縁日にお祭り、お宮参りに七五三、家内安全や厄除けのお札、安産祈願に合格祈願、地鎮祭に縁起物の達磨や熊手、そして車の中にも海外旅行にも交通安全のお守りは欠かせません。はてはキリスト教徒でもないのに、クリスマスからバレンタインデーまで日常生活の中に取り込んでいます。
 これら一つの神を絶対唯一の存在とし、その教えを心の拠り所として生きるという意味の信仰とは無縁です。しかし、八百万の神々や仏様を認めて、生活上のさまざまな願いを託すのは、日本人が昔から馴染んできた宗教的なものへのかかわり方です。特定の宗教の信徒のように、はっきりした輪郭は持たないものの、人知を越えたものを信じ、それにすがろうとする意味では、これもまぎれもなく信仰心だといえるでしょう。
 このように、豊かな信仰心を持っているように見える日本人ですが、こと宗教となると無関心どころか、昨今は警戒心さえ持つようです。たとえば、私たちの実践活動も、宗教ではないのかという警戒の目で見られることがよくあります。
 理由は明らかです。とかく物質万能、科学万能、合理主義一辺倒の世の中で、心のあり方の大切さを説く会は、自分たちとはまるで違った価値観を持つもの、たとえば新興宗教のようなものに見えてしまうのでしょう。
 もちろん実践倫理は宗教ではありません。神様もいなければ偶像もありません。礼拝や読経も、呪術的n儀式もありません。あの世について語ることもいたしません。宗教に関していえば、私たちは宗教の持つある面についてはこれを認め、別のある側面は認めません。(それについては後でお話したいと思います。)
 ともかく、信仰心は宗教の基礎ではあっても、宗教心と同じではありません。つまり、現代の日本人の信仰心がなくなったのではなく、宗教心が薄れたのです。
 
 宗教の発生

 宗教は人間の歴史とともにあったといわれています。たしかに歴史的に見て、およそ宗教を持たなかった民族はありません。人間は常に宗教を必要としてきたのです。なぜなら、人間は自らを弱い存在だと意識してきたからです。
 私たち人間は、ついこの間まで自然の恵みのままに生きてきました。しかし、自然の営みは人間の意のままにはなりません。豊かな実りを願っても、干ばつや洪水に見舞われることもしばしばでした。さまざまな天変地異に対して人間はあまりに無力で、明日の自分の運命さえ定かではありません。
 もし、未来を予測できるとしたら、事故もトラブルも起きないはずです。誰もが容易に望む仕合わせを獲得できるはずです。しかし残念なことに、人間には一瞬先が闇なのです。その意味では、ただ不安だけがありました。
 では、無力な人間はどうやって、そうした不安を取り除き、あるいは希望の実現を図ろうとしたのでしょうか。いうまでもなく、超越的な力、すなわち神に祈ることで、人間の力の及ばないことを解決しようとしたのです。すべての民族が宗教を必要としたのは、そのためでした。
 その超越的な力とは何でしょう。自然崇拝に宗教の起源を求めるのが一般的です。日本の場合はその典型でした。
 遠い昔に思いを馳せてください。里には深く鎮まりかえった森があり、そこには幾千年を生きたかと思える巨木があります。遠くには里を育むように聳える雄大な山々があり、永遠の時を刻んだ巨岩や満々と水をたたえる湖があります。山麓の湧水は清冽な流れとなって里を潤しつづけます。
 しかしときには、自然はその姿を一変させます。噴火や洪水、日照りや冷害、嵐や吹雪で人々を圧倒します。有限の時間しか持たないちっぽけな人間にとって、無限に生々流転して止まぬ壮大な大自然の姿は、そのままで神聖なもの、畏怖すべきものと感じられたことでしょう。
 山と森に囲まれた緑豊かな土地で、田畑を耕して生きる人々にとって、作物の生育と豊穣を願う心は、生命の誕生や子どもの成長を祈る心と一つのものでした。それらは生命の営みをつかさどる人知を越えた力、万物を生み育てる神秘の力のなせる業だと感じられたことでしょう。人々はそうした力に神を直感したに違いないのです。
 太陽も大地も緑も水も、大自然のすべてが天の恵みであり、祈りの対象だったのです。とりわけ、鎮守の森や見上げる山は神の住みなす聖なる領域と意識され、古木や巨岩は神が依代として祀られました。
 彼らにとっては祖先もまた永遠の生命の流れにつながる存在でした。人は死んで祖先となり、やがて大自然に溶け込んで神となると直感されていたのでしょう。死者の霊は山に行き、浄められ、祖霊となって里人や田畑を守ってくれると考えられたのです。祭はそうした祖先の神々と里人の交流のひとときでした。人々は自分たちもまた自然の一部だと実感しながら暮らしていたに違いありません。
 こうした自然崇拝の伝統の中から、おそらく弥生時代の稲作農業を母体にして神道が生まれ、六世紀には仏教が伝わって、土着の信仰と混淆することで日本列島に定着していきました。その後、戦国時代にキリスト教が伝わりますが、大きな影響を及ぼすには至りませんでした。
 一神教が日本で力を持ちえなかったのは、おそらくいかなる神も、太古から日本人が心の底に宿してきた「大自然の摂理」に対する畏敬の念を超えることができなかったからだと思います。日本においては宗教もまた、大自然の摂理の内に包み込まれてしまうのです。八百万の神々が共存する信仰の風土が、こうしてできあがったと思われます。

 宗教の歴史

 世界に目を向けると、古代社会では、自分たちの運命を神の力で切り開こうとしましたから、より強い神、より人々の要請にかなった宗教が一世を風靡しました。厳しい自然環境で生きる人々や苦難に喘ぐ人々には、とくに強力な神が必要でした。事実、オリエントの砂漠に生まれたある神は、強大な力を持ち、人々に絶対的は服従を求め、他の神や他の民族に対しては徹底的に「不寛容」でした。
 やがて、万人の仕合わせを実現しようとする「寛容」な世界宗教が誕生します。釈迦はカーストの軛に苦しむ人々に万人の平等を説き、キリストは汝の敵を愛せよと教え、ムハンマドは特定の人間の特権を否定し、貧者に進んで施しをするように求め、強制にによる改宗を禁じました。仏教やキリスト教やイスラム教が世界宗教となることができたのは、いずれも万人の仕合わせの実現を目指したからでした。
 しかし、人々が神に頼れば頼るほど、神を祀る人々の力がどんどん強くなっていきます。彼らは自分たちの教団に都合のいいように律法(戒律)をつくり、あるいは教義のの解釈を変え、自分の世俗的な権力欲や財欲を満足させるようになっていきます。神の名で異教徒を弾圧し、イスラム教に対するキリスト教の十字軍のように、大虐殺さえ辞しませんでした。神の代理人がすべてを支配する社会になったのです。
 神の名を振りかざす神の代理人から、人間的な仕合わせを取り戻そうとする動きが現れるのは必然でした。ヨーロッパのように、宗教の支配が厳しかった社会では、宗教からの人間解放が課題となったのです。
 激しい改革運動によって、あるいは、人々の思いが積み重なって、人々は少しずつ教会の呪縛から解放されていきました。人間の仕合わせを実現するものは、神ではあっても、神の代理人ではないと意識されるようになったのです。
 近代になると、諸科学の勃興によって、それまで神の領域とされていたものが次々と人間のものになって行きました。さまざまな自然現象も生命の神秘も、科学によって解明されていったのです。病気なら医者に駆け込んだほうがいいと、誰もが知るようになったのです。
 では、現代人は神を必要としなくなったのでしょうか…。 

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