いやいや朝起会を続けている妻の夫のブログ

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zoom RSS 「改革派会友」の正体 20100906版

<<   作成日時 : 2010/09/04 09:12   >>

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 「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen

で「改革派会友」などという大嘘つきのハンドルネームを使っている奴の投稿をピックアップします。

 何が会友だ!何が実践しているだ!単なるスパイで、5つの誓いなんて、何ひとつ守っていない大馬鹿者だ。

 こ奴の2ちゃんねるでの投稿を、どんどん引用紹介するつもりですが、手が広がりすぎて大変だし、競馬研究や家庭愛和がおろそかになるので、マイペースで進めます。

 とりあえず、2ちゃんねるでは、ここら辺に登場しています、ということだけ載せておきます。

★★朝起き会(社)★実践倫理宏正会★19★★☆
http://www.unkar.org/read/gimpo.2ch.net/psy/1217682063
より


(引用開始)

518 :神も仏も名無しさん:2008/09/14(日) 16:40:30 ID:d2EO0UM8
>>510
>宏正会非難の書き込みが減ってきたことご同慶の至りです。

問題点の指摘がなされるということ自体を「非難」と、捕らえるのは問題だとおもいますね
というより、社会では「問題点」を要検討事項として捕らえて、改善の機会とするのが、
当然になっています。ISOでも、5Sでも、同じ発想です。

ここに朝起き会について「問題点」を書いている人で、>>507氏などは、私のスタンスと
似ていると感じました(507氏に、勝手ながら私が思っただけですが)
妻が朝起き会に行きだして、誘われ、どんなところか監視もふくめ、自分も行くこととなる
馬鹿馬鹿しいと思いつつ、まあ良いか、悪いことしてる会でも無いようだし、と、渋々言っているが
朝起き会に来ている連中のレベルの低さに、辟易している状況

悪いが、「現会員」氏と違って、実際に、レベルの低い連中と接して、ここに愚痴を言うしかない
あるいは、だまされないように、皆に注意してあげたい。
そんな意味合いで、書いているのは、私だけでは無い様だ・・・・・

(引用終了)


<20100906>追伸
 
 上記の投稿をみて、「実践倫理宏正会って何?」と同一人物の可能性が高いとわかるのが、「実践倫理宏正会ウォッチャー」氏。まだ、しっかり読み比べたわけではないが、当たっているだろう。2ちゃんねるとかのブログは表裏一体なので、主要な否定派は全員登場しているのである。


 「実践倫理宏正会ウォッチャー」氏がかのブログに投稿したのは、
20070506〜20080804の19回

 この間にも偉そうなことをいろいろ書いていたが、まだ、否定派一色ではなかった。しかし、最後の投稿では、妻が思ったよりたくさんの出費をしていたことを知り、投稿をやめた形になっている。そして、その一ヶ月後から、2ちゃんねるでバリバリの否定派として攻撃を始めたのである。

 なお、「実践倫理宏正会ウォッチャー」氏は、ホームページも作っていて、たいした内容ではないし、全然更新されていないのに、常にトップページに表示されていることが不思議であった。その謎も解けた。否定派の首謀者であるこの人がせっせとリンクを貼りまくっているのであろう。

 妻が入っているので入ってみた。入ってみたら、たいした会ではなかった。だから攻撃する。

 そういう理屈である。愚かな人間の代表選手である。

 会友は、いたらない自分を高めるために修行をしている。我が妻もそうである。しかし、この「改革派会友」は、会で学ぶことなど何もない、自分は立派なのだ、他の会友は愚か者なのだというお考えらしい。ただ、会を攻撃するためだけに少しだけ所属してみただけである。そういうのを実践とは言わない。

 宏正会の活動は、厳しい修行なのである。仕事をしていて、片手間にできるような甘いものではない。その教えが正しいと心から信じ、一生懸命やってはじめて仕事と両立できるのである。彼の場合は、そんな気はさらさらないので、何も学ぶつもりもないのである。最初からスパイなのだ。

 こういう男が一番たちがわるい。下記は、かのブログで打ったものですが、赤字の部分が該当します。

(全体引用開始)
   目指すべきは「家庭愛和」です。

 実践倫理宏正会の二世で、この会を快く思っていないケースがあります。
その一方で、この会の教えはすばらしいと評価している二世も多いです。

 この違いは何でしょうか?
それは、その家庭が、「家庭愛和」を実現できていたかどうかだと思います。

 否定派の家庭の典型的な特徴としては、
「母親が熱心な会友、父親は猛反対」というケースでしょう。
本来、夫をたてるという教えですが、その夫は会を否定するのです。そんな状況で普及実践に努めている母親は大きな葛藤を抱いています。夫は会に反対だから、陰で倍加しないといけないとか、夫に内緒で倫風のノルマやお祝い金を払うなどの風習が生まれてしまうのでしょう。
 そして、そんな家庭の一番の被害者は子どもです。母親はイスラム教徒で、父親はユダヤ教徒みたいなものです。自分は何を信じればいいのかわからなくなって当然です。結局、会の本来の目標である「家庭愛和」が実現できないという矛盾が生まれます。そんな家庭で育った二世が、会を憎む気持ちもわからなくはありません。「鉄槌」くんもそうなのでしょう。

 さて、夫や二世はなぜ猛反対するのでしょうか?

 ネットで調べたら、実践倫理宏正会がカルト宗教のように批判されていたから?
そんな方は、「いや夫」のブログや、このブログの過去の投稿をすべて読んでみてください。
あなたは、愛する妻(または母)よりも、2ちゃんねるの意見を信じるのですか?

 家庭愛和の鍵を握っているのは「夫」(または二世)なのです。

 妻(母)の実践に反対している夫(二世)に「いや夫」からの忠告です。

 実践倫理宏正会はカルト宗教ではありません。
1 まず偏見を捨ててください。
2 一年に一度ある、壮年の集いだけでも参加してあげてください。
  (そういう夫が大半です。)
3 元朝式と原爆の日の朝起会に行くと、妻は喜びます。
4 倫風を読んで、会の教えを知ってください。
5 妻(母)がなぜ実践をがんばっているのか、その理由を肯定的に聞いてあげてください。

 以上で十分だと思います。(「いや夫」もこの程度の「名ばかり会友」です。)
会に猛反対しているときより、「家庭愛和」は簡単に実現するはずです。
以上の手順は、カルト宗教から信者を脱退させる手順と同じだと思います。
(否定派は、罠だとか思うのでしょうね。疑り深い人たちだから・・・。)
信じる信じないは、あなたの自由です。

 鉄槌くんはじめ否定派の二世へ

 両親は、朝起会が原因で不仲だったのかもしれませんね。ネットを読んだ君たちは、朝起会がカルトで、母親がだまされた哀れな人だというのでしょう。ネットの記事を読んだ、君たちの心中を察します。でもね、ネットなんてとんでもない世界なんだよ。試しに、君の母校に関する2ちゃんねるのスレを読んでみなさい。ぼろくそに書かれているから。それを真実だと認めるなら、そうしなさい。母親はカルト宗教にはまった人だと批判し続けなさい。でもね、いつかは母親は先に亡くなるのだよ。母親とこじれたまま見送るつもりですか。やがて後悔するときがくるでしょう。実践倫理宏正会はカルトではないのだから。会友はみんな知っていますよ。「いや夫」はちゃんと忠告しました。それでも信じられないなら、一生2ちゃんねる命で生きていきなさい。「いや夫」から見れば、君たちこそ熱烈な2ちゃんねる信者だ。カルトだ。その事実に気づきなさい。

 なお夫が、なまじ会の教えに賛同して、一緒に朝起会に参加し、その後幻滅して会を批判するというような真似は絶対にやめてください。
(2ちゃんねるスレ主の「元会友」のパターンです。きっと我が強く、うんちくをたれたい人だったのでしょう。自分が教祖になりたいという人なのかもしれません。そんな人は会には向いていないのです。そして「元会友」は今でもきっと、2ちゃんねる教で「教祖」をきどっておられることでしょう。「飛ぶ鳥跡を汚さず」のできないお方です。そんな人たちが会の悪口を書き連ねて、自分を正当化しようとするのが2ちゃんねるなのです。そして、そういった情報が作り出したのが「否会友」(実際には会を何も知らないのに批判する)や「鉄槌」などというネットモンスターなのです。
 いずれにしても、何かにはまりすぎるのはよくありません。ほどほどが一番だと「いや夫」は思っています。それは「実践倫理宏正会」についてもいえます。「いいとこどり」でいいんじゃないでしょうか?「いや夫」も朝起会肯定派はほどほどにしときます。)


 また、会への出費が多すぎて嫌だという夫は、その点は追求していっていいと思います。「家庭愛和」とはまったく関係ない部分です。お金を節約しようとする社会人としての感覚は大切だと思います。(ちなみに「いや夫」は65歳からしか年金をもらえません。5年間無年金の生活なんて、誰も実感していないのです。大変なことです。蓄えをしっかりすべきです。その点では、否定派と同じ意見です。)

 「いや夫」としては、倫風代だけを払う会友(年間3000円)がちまたにたくさんいて、主婦の井戸端会議のネタとして、倫風宏話や記事が使われる位になると、すばらしいと思います。お祝い金って何それ?でいいと思います。その方が、「いや妻」の倫風頒布のノルマも楽に達成されていることでしょう。
 
 以上が夫や子どもへ訴えたいこと。

 次に昔会友だった人で、会の悪口を書いている人たちへ。
あなた方の考え方が、会に合っていなかっただけではありませんか?
「飛ぶ鳥、跡を汚さず」で、便所の落書きでうっぷんを晴らすのはやめてください。あなたの味方をしたやさしい会友さんもいたのではないですか?

 家庭愛和は、実践倫理宏正会に入っていようが、いまいが大切なことです。
「いや夫」は次の投稿に共感します。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-3001459 より
皆さんも、それぞれの方法で家庭愛和を実現してください。
(引用開始)
私は朝起き会へ行ってない。
母は私を産んだ頃から朝起き会。
朝起き会は、彼女の生き甲斐です。
私は朝起き会へ行っていない。
でも『倫理』を正しく学んだ人間に育てられたから、私にも『倫理』が根付いている。感謝である。
昨年とても素敵な人と結婚した。
周りを見渡せば、同じ二十代も三十路を迎えた人も結婚できないでいる人が多い。
私が彼(夫)にしている当たり前の事を聞いて
「えぇ〜私そんな事できなぁい」。
「できない」のではなく、「したくない」にしか聞こえない。
私が今「幸せ」と思えるのは、相手の役に立てるのが嬉しいからだ。心地いいのだ。
男は仕事をし、女は子供を産み・家を守る。
それぞれに「役割がある」という事。
たったそれだけの事を認めず、「女だって働ける」「女性軽視だ」と‘謙虚さ・控えめさ’を失くした結果が晩婚化・少子化である。
謙虚に、控えめに、夫を立てる事が、時代錯誤だ!女性軽視だ!とおっしゃるなら、そう言う前に女としての実力をちゃんと発揮すればいい。
しっかり炊事洗濯をして、沢山の子供を産む事ができたなら、そんな女性を誰が軽視するのでしょうか?
こういう思考でいられるのも、倫理を学ぶ母が育ててくれたからこそであり、苦労もあったが、今はとても幸せだ。
私は朝起き会へは行っていません。
でも理解できます。
『お金』重視で活動している人なんて見た事もありませんが、もしそういう方がいるとすれば、それは会に入っていても全く意味のない方ですね。早起きまでして…もったいない人だ。

投稿 被害者という方々へ | 2006.04.26 04:18 午後

(引用終了)

 以上で、「いや夫」の訴えたかったことのほとんどは伝えることができたと思います。
実践倫理宏正会への誤解が解け、家庭愛和が少しでも広まっていきますように。
  (2ちゃんねるやそれを信じる「ちゃねらー」が大嫌いな「いや夫」より)

投稿 いや夫 | 2009.12.17 11:18 午後

(全体引用終了) 

 「実践倫理宏正会ウォッチャー」氏のサイトを読んでみたことがありますが、しったかぶりで自分が一番偉いという内容でした。こういう人は、宏正会では一番愚かな人間です。きっと、会場の人もそれを悟って、バカにしていたのでしょう。なお、彼は、他の自身のページで顔写真まで載せています。全然貫禄のないおじさんでした。ネットで顔写真を公開してはいけません。偉そうにしても、たいした奴ではないと、すぐに気づかれてしまいますよ。

 なお、かのブログで「あいうえお」という投稿者がいて、次のような投稿をしています。おそらく彼でしょう。(「前にも書いた」を)分析するとわかります。自分が教祖になったらどうのこうのと夢想するように、自分の実力を過大評価しすぎているお方なのです。ネットでは一番やっかいなタイプです。「人間は無知である」ことを、まず自分自身が自覚されてはいかがでしょうか?



(引用開始)
自分が宗教をつくるとしたらどんな教えを説くかな。

1つ、多くのものを見、自分で考えよ。

2つ、上のものほど働き、下のものはそれを見て育て。

3つ、人はどんなに歳をとろうとも無知である。全てを悟り理解することはみな無である。そのことを心得た上で大いに発言せよ。


教本:固定の教本は作らずに、他の様々な分野のなるほどと思える文章を会員から集め、まとめる。

投稿 あいうえお | 2009.01.18 12:55 午前

追記です。

そもそも、なぜ否定がだめなものとして決め付けてあるんしょうか?

否定はよりよくなるための問いかけです。

いいものは褒める。しかし改善したほうがよいと思ったことに対しては、否定よりな立場から歩み寄るものです。互いに意見をぶつけ合い、相手の意見に賛同できるのであれば意見を覆し、やはり自分の意見が正しいと思えばそれを貫く。

否定がダメなのではありません。否定のしかたに問題があるのです。

暴力、他人の迷惑を考えないデモや発言。そのやり方が間違っているのです。

あなた達も否定することを否定しているではありませんか。

これは大げさな話ですが、人を殺した殺人者も受け入れろというのですか?もちろんその人がなぜ人を殺したかは十分に理解し、わかろうとしなければなりません。しかし、最終的には人殺しはダメなのです。真っ向から否定しなければなりません。

しかし人を殺せという教えの宗教ではこうはいきません。根本に人殺しが善として認められていますから、この考えがそっくり逆転するでしょう。

そして人殺しはダメだという宗教と対立が起こり紛争が起こります。これは宗教の宿命。必然です。

大切なのは「なぜそうなのか」ということをわかろうとすることです。
「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ否定はいけないのか」その理由を自分自身で見つけなければ、それは自分の考えではありません。そして今の自分の考えは「今の考え」であって、これから見る景色によってはそれが覆るかもしれないということを肝に銘じておかなければなりません。

私が実践倫理の会に入る可能性もあればあなたが会をやめる可能性もある。

信念というのは時に真実を曇らせる危険性があります。

最後に、前にも書きましたが、私の心に一番響いた書き込みはこちらです。

>倫理とは人の成長の指針でありましょう。
何かを信じる。のは思考の停止を意味します。
人が成長するのは絶え間なく続く考察と自分自身との葛藤があるからです。
何かを信じればそこで成長は止まると考えてよいのではないでしょうか。
成長しようと葛藤している人間に答えを与えるのが倫理的な教育でしょうか?

心に響きます。

>何かを信じればそこで成長は止まる。

だからこそ自分が信じているものに対し、常に考察し、よりよく変化(もしくは無変化)しなくてはならないと私は思います。

投稿 あいうえお | 2009.01.18 01:37 午前

(引用終了)

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