いやいや朝起会を続けている妻の夫のブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS 「担当者」が紹介した『日本人のための宗教原論』小室直樹著で、日蓮正宗こそカルトと書かれている

<<   作成日時 : 2011/08/31 20:11   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

 朝起き会否定派首謀者の「サイコばばあ」=「担当者」が、たった一人で投稿をしていた「談話室」がある。
談話などしておらん。一人でぶつぶつ書いているだけである。それがバレバレなので、最近は一切新規投稿をしていない。我がブログへのリンクを貼りすぎてしまい、第三者に読まれると、己の馬鹿さ加減がわかってしまうからである。

刈人宗教解析倶楽部*談話室
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1212934622/

 さて、このページの最後に紹介されている書物がある。

 『日本人のための宗教原論』小室直樹著 である。この本は、宗教を理解するためのテキストとして優れている。「担当者」が所属する日蓮正宗こそ、カルトそのものだと論破している。
ちなみに、著者は、「いや夫」が崇拝する副島隆彦氏の師匠である。
この本のエッセンスを紹介する。

『日本人のための宗教原論 〜あなたを宗教はどう助けてくれるのか〜』小室直樹著 より一部引用

(引用開始)

P.2
 今の世にし 楽しくあらば 来む世には 虫にも鳥にも 吾はなりなむ
                大伴旅人(万葉集)

 この歌をきいて、外国人はみんな吃驚仰天する。朝鮮・韓国人も中国人も、南の国々の人々も中近東の人々も、欧米人も、死生観は宗教が決める。来世に、尖鋭な関心をもたない人は、まずいない。日本人だけが例外である。だから、日本は、無宗教国になったのか。

(中略) 

P.3
 この世が最高だと思っている日本は、当然、無宗教国になった。
 宗教がないから、カルト教団は簡単に人を殺して勝手に金を奪う。こんなにたやすくカルト教団がはびこれる国は他にない。
 宗教がないから、学校は崩壊して、子供たちは自由に人を殺しても平気である。しかも、誰もその理由に気づかない。
 宗教がないから、経済破綻ぐらいで闇雲に命を絶つので、自殺率は急増中である。
 資本主義もデモクラシーも近代法も、深くキリスト教に根ざしている。キリスト教の理解ができていないから、「資本主義」とは名ばかりの統制経済となり、三権は役人に簒奪され、近代法は機能せず、政治と経済とは破局へ向けて驀進中である。

(中略)

P.62

 最後の審判の日、生身のイエス・キリストが、元の姿をもって、この世に再臨する。そして、神の国が到来するのである。その神の国に入れる人間と入れない人間とを識別する。
 ギルティ(有罪)と宣告された人は、神の国から追放され、永遠の死滅。永遠にいなくなってしまう。欧米人にとっては、これはとても恐ろしいことなのだ。それに対して、ノット・ギルティ(無罪)といわれた人は、神の国に入って永遠の生命を与えられる。
 しからば、その神の国とは、どんな国なのか。・・・キリスト教は一切いわない。そして、一切いわないということが、宗教的に絶大な効果をもたらすのだ。
 何も書いていないと、人間というのはそれぞれが自分勝手に理想の世界を想像するものなのだ。これが宗教心理学上、大変おもしろいところである。
 これは仏教でもそうなので、法華経について研究した江戸時代の国学者平田篤胤が富永仲基の書いたおもしろいことを紹介している。
 曰く「法華経というのは能書きだけで薬のない薬箱だ。法華経は最高だ最高だといっているだけで。内容は何もない」と。しかし逆に何もないからこそ法華経というのは万能だと人々は思い込む。
 近年、「最高ですか、最高です」なんて大雑把なことをいっている教祖とやらがいたが、宗教心理学上だけに限れば正しいやり方ともいえるのでだ。


(中略)

P.180

 キリスト教徒にとって、異教徒は(無信仰な人々)は、大量虐殺することも奴隷にして売買することも正当な存在でなのである。成立時のヨーロッパ国際法は、このように定められていた。それが何より証拠には、大航海時代には、航海者からローマ法王に、「異教徒は人間であるのか」との問い合わせが頻繁に寄せられている。人間でないのならば、殺すのも奴隷にするのも自由なのである。
「殺すなかれ」という戒律は、正確にいうと、キリスト教徒にだけ適用される。動物にも異教徒にも適用されない。このことはユダヤ教にもいえる。『トーラー』では、利子をとって金を貸すことを禁止している。が、この法律は、ユダヤ教徒のなかでだけ通用するのであって、『ベニスの商人』のシャイロックがなしたように、非ユダヤ教徒には利子をとって金を貸してもよいのである。これと同じことだと思うとよい。
 近代国際法の正体を、このように暴露してみせると、いくら何でもそんなこと本当かと反問される。例を挙げ説明しよう。
 「ポルトガル人は、信仰篤いキリスト教徒として知られている。そのポルトガル人がアフリカで何をしたか。彼らは、西アフリカでアラブ商人を駆逐して奴隷貿易の権利を手に入れ、その首都リスボンは、アフリカ黒人の奴隷市で栄えることになった」
 奴隷貿易で大儲けしたのは、ポルトガル人だけではない。ヨーロッパのキリスト教諸国は、奴隷貿易で大いに国富を増進した。キリスト教国の国際法は異教徒を奴隷として売買することを合法的だとしていたからである。
 「15〜19世紀の400年近い期間を通じてアフリカ大陸から奴隷狩り、奴隷貿易で連れ去られた黒人は、6000万人という。」
 近代の初め、ヨーロッパの全人口が約2000万人であったことを思い出すと、6000万人という数字がどんなに厖大な数字であるのか、おわかりかと思う。
 キリスト教徒は、こんなに厖大な数の奴隷を何に使ったのか。
 次のような典型的な奴隷の使い方がある。
 キリスト教徒が現地を征服する。すると原住民を皆殺しにする。その後にアフリカから連れてきた奴隷を入れて労働させて利潤をあげる。
 異教徒の大量虐殺は合法的であったから、「・・・ときに起こる原住民の反抗や反乱は、小銃と機関銃によって呵責なく鎮圧され、殺戮、虐殺、処刑が遠慮なく行われた。」
 こんな有様であったから、原住民は、見る見る減るわ減るわ、次々と姿を消していった。
 アメリカ人のインディアンに対する行為もこれに近い。「インディアンがいきなり襲ってきた」などという西部劇のストーリーは嘘っぱちもいいところである。たいがいの場合、アメリカ人がいきなりインディアンを一方的に襲って土地と財産を奪ったのであった。その結果、インディアンの人口も急速に減っていった。19世紀初めには100万人以上もいたインディアンが、1880年の国勢調査のときになると、わずかに6600人を数えるだけであった。

(中略)

P.199

 敷衍(詳しい説明を)すれば、仏教の場合すべては空である。実体を考えてはいけない。したがって、魂もなければ、地獄も極楽もない。現に、「般若心経」のどこにも地獄・極楽などは書いていない。「維摩経」にもない。「法華経」には譬え話にしか出ていない。仏教で「地獄・極楽」というときは方便と知るべし。無知蒙昧な人々を仏教に引きつけるための方便であり、古代インド宗教たるバラモン教文学の残滓にすぎない。その証拠は、教判で位の高いお経では譬え話として述べられているにとどまっており、もっと位の低いお経にこそ、さかんに述べられていることである。
 だから、「永劫に地獄に堕ちる」などといわれて悩むのは仏教ではナンセンスきわまりない。いや、ナンセンス以前である。仏教ではそんなことは何もいっていないのに、譬え話を実在だと妄想して思い悩むのでだから。

(中略)

P.206

 仏教の目的は、悟り、すなわち諸々の煩悩をなくして、解脱して涅槃に入ることである。その煩悩が生じるというのも、「われが存す」という迷妄が根底に存するからである。ゆえに、「われが存す」という迷妄を断ずれば、涅槃に直行できる。
 これが仏教の蘊奥である。
 これが「魂はない」ということの意味である。

(中略)

P.211

 日本人が思っている輪廻転生というのは、ヒンドゥー教の観念がずいぶん混じっている。おそらく、仏教の真理なんか有象無象にわかるわけがないと思った仏教の偉い坊さんたちが、恐ろしくわかりやすいヒンドゥー教の教義やインド人の俗信(民間の迷信、民話)を仮に使って、布教に努めたというところではないのだろうか。
 だから、永久を過ごす地獄や極楽が実在するなどというのは、もう仏教ではないわけである。
 輪廻転生のみならず、仏教というのは至るところ矛盾だらけである。それも当然で、西洋風の論理学だけに馴れた人に、簡単に理解できるわけがない。
 乱暴に言ってしまえば、布教に使われている仏教理論というのは、俗人をなんとか導くための方便であって、本当の仏教ではそんなことを一生懸命考えたりはしないものである。だからそんな譬え話ばかりになっていて、初等的な矛盾が生じたりしているものもある。

P.221

 仏教は、元来、エリートのための宗教である。高度な哲学体系を持ち、厳しい修行を要求する。仏教は体を痛めつける苦業こそ要求しないが、その修行の厳しさたるや、尋常一様なものではない。何しろ、悟りをひらいて仏になるための修行なのである。
(中略)
 この修行が、どんなに年月をかけるものなのか。次期仏(釈迦の次の仏)は弥勒菩薩であると、もうすでに決まってはいる。が、この菩薩は、目下、兜率天(将来仏になる菩薩が人間界に行く前の生を過ごすところ)で説法をし修行中である。弥勒は、56億7000万年後に修行が完了して仏になるとのことである。

(注:その後、イスラム教について詳しいが、私は興味がないので割愛する。「鉄槌」キャラは詳しい。この本をバイブルにしているからである。「刈人宗教解析倶楽部」のサイトでもこの本を紹介している。)

P.331

 キリスト教のキーワードは「予定説」、仏教のキーワードは「空」、イスラム教のキーワードは『コーラン」であった。そして儒教理解のキーワードは、ズバリ「官僚制度」である。

(中略)

P.341

 科挙に首席で合格した者を「状元」と呼ぶが、宋代までの「状元」には、まさに大国の総理大臣にふさわしいような人材が多数輩出された。
 中でも13世紀中頃、弱冠20歳で首席合格を果たした文天祥は南宋の滅亡に際し最後まで抵抗を続け、名臣中の名臣と称えられているほどの人物であった。
 初めは本当に総理大臣にふさわしい人物が出ていたのが、だんだん堕落して、単にテキストどおりに解答の書ける人間のみが合格するようになっていった。
 さらに、そういう形で科挙に合格した人間が試験官になり、自分と同じような者を官僚に登用する。ここにおいて、科挙は官僚の自己増殖の過程となった。このことも急速に堕落した一つの大きな原因である。
 このことが儒教の宗教的堕落といえる。カトリックの堕落とも、仏教の堕落とも全く異なった堕落である。
 こうして論を進めていくと、中国のことではなく、現在の日本のことを言っているような気さえしてくるであろう。日本人には、儒教の影響を多大に受けているという自覚のある人も多かろうが、日本に最も影響を与えた儒教教義は、生活・思想の面ではなく、弊害ともいえるまさにこの官僚制度、受験制度であるといえよう。

(中略)

P.361

 日蓮上人の教えとは何かというと、南無妙法蓮華経と唱えればよいと、それが中心である。それで本質的には十分とし、それで誰もが成仏へ向かうと唱えた。
 この点は、法然上人、親鸞上人のほうが徹底している。「南無阿弥陀仏」と唱える唱名だけでいい、修行も学問も一切必要ないといっている。これこそ仏教的な考え方からいったら、大変な異端なのだ。
 まず異端だというのはどういうことかというと、本来の仏教では大変な修行を要求する。そのうえ、善行、善果の積み上げをやりなさいともいう。それから学問も重要ですよ、とこういうことをいっている。
 ところが法然及び親鸞は、そんなことは一切必要ないといってしまった。
 いい切ったうえでこの教義を体系的に論理づけたのは、同じく法然、親鸞で、彼らは末法思想に、それを関連づけた。すなわち、いまはもう末法の、末の世である。もはやどんな修行をしてもどんな善行を積んでも、どんな学問をしても到底悟りはひらけない。それらはすべて無駄なのだから、そんなことは止めて、南無阿弥陀仏と唱えて仏様にすがれば、仏様が自動的に救済してくださる、という考えを世に広めたのだ。
 日蓮上人はこのように説明したわけではないが、「法華経」は万能なお経で「南無妙法蓮華経」と唱えることがいちばん大切で、その他はあまり重要ではないと世間に広めた。
 これは、驚くべき革命といってよい。
 かくして、日本の仏教は戒律を全部取り払った。このことは本来の仏教では絶対に考えられないことであるが、その点をとらえると、キリスト教の布教の形式と大変によく似ていることに気づくであろう。


(中略)

P.381

戦後日本の共同体の変遷は天皇信仰の崩壊

 戦前日本の共同体システムの基本形としては、頂点における天皇システム、底辺における村落共同体の二本立てだった。
 ただし、一口に村落共同体といってもこれには注意が必要で、村落共同体は共同体であるけれども血縁共同体ではなかった。それは一緒に仕事をするという共同体であったのだ。
 日本の共同体には、宗教的共同体、血縁共同体、地域共同体というのはない。すべて労働共同体だけである。
 それが戦後まず、頂点としての天皇共同体が、敗戦と、天皇の人間宣言によって崩れた。それから底辺における村落共同体は、昭和30年代、高度経済成長がスタートすると徐々に徐々に崩れていって、昭和30年代後半から急速に崩壊が加速、40年代からもうなくなってしまったも同然になった。となれば、凄まじいアノミー状態になるのは必然である。
 それを収束したのが一つは左翼思想であり、もう一つは会社であったのだ。
 ところが左翼団体というのは内ゲバがお家芸で、片っ端からつぶれていったり、縮小化したりして、連帯を失っていった。
 いま、日本のカルト宗教、教団は、その信者たちのアノミー救済のために機能している。日本に現在吹き荒れているアノミー禍は、日本人の絶対信仰である天皇信仰が突き崩されたため、ということが遠因としてある。そのアノミーを救済しなくてはならなくなり、カルト教がそこにはまった、ということである。
 アノミーとは何ぞや。これはフランスの社会学者エミール・デュルケムの用語であり、普通「無規範」「無秩序」などと訳されているが、それはむしろアノミーが引き起こす結果である。
 そこでこの言葉を一言で定義すれば「無連帯」というのが本質である。人と人とを結びつける連帯が失われ、人々は糸の切れた凧のようになり社会をさまよう。孤独、不安、狂気、凶暴。気弱な人は死にたくなる。いや死んでしまう。アノミーとはどんな病気よりも恐ろしい。
 会社も、変容を遂げていく。多くの日本人が誤解していることに、終身雇用制や年功序列が日本的経営だという認識があるが、これはとんでもない間違いで、この制度は以前の日本にはなく、決して雇用習慣ではなかった。では、いつからそうなったかというと、このアノミー状態を収束していく昭和30年代半ばからである。この制度を導入することにより、日本の会社は本来の利益追求団体から、共同体へと性格を転換させていった。
 この両者以外にも一部の宗教団体、新興宗教によってアノミーは吸収されたが、宗教団体も割合にもろく、一旦急増したものの急速に力を失っていったのである。だからその間隙を埋めるために起きてきたことが校内暴力と家庭内暴力。そして、90年代に猖獗を極めたカルト教団が出てきたのある。

(中略)

P.386

 宗教をきちんと勉強すると、インチキ宗教を見分ける最も簡単なポイントが容易にわかる。ここまで、機会に応じて説明してきたが、ここでまとめておこう。
 まず一つ目。金儲け宗教はインチキに決まっている。
 キリスト教でも仏教でも、お金を出さなければいけないなどとは教典のどこにも書いていない。教典に書かれていないことを義務づけるというのは、啓典宗教にはありえない。喜捨という行為にしたところで、仏教ではいくら必要などという基準を示していないし、少なくても家屋敷を差し出せなどということはあり得ない。
 喜捨で最も合理的ななのはイスラム教で、所得の40分の1、とちゃんと決められている。年収500万円の人で年間約12万5千円。月々一万円くらいだからそんなにべらぼうな額ではない。そのくらいならば、敬虔な人は出してもかまわなかろう。身ぐるみ脱いで置いていけというのは山賊であって、宗教家ではないし、金を借りさせてまで払わせるのはもはや喜捨ではなく、強盗、いやそれ以上である。

P.389

カルトとカリスマ

 いまや日本では猫も杓子もカルト、カルトと気易くいうが、よくよく調べてみるとキリスト教などは初めからカルト教団だった。もっといえば、カルトでない宗教など伸びはしない。
 仏教にしても最もカルト的な法華経の系列が、いまの日本では一番活発であろう。
 どこがどうカルトかというと、法華経に含まれている根本の教義である。法華経を信じれば何でもできる、どんな奇蹟でも起きる。という考え方は、カルト以外の何ものでもあるまい。
 このことが一番よくわかるテキストは、姉崎正治博士の『法華経の行者 日蓮』(講談社学術文庫)である。ぜひ、お読みいただきたい。


P.394

アノミーの恐怖

 世紀末、なにゆえいいかげんな宗教が猖獗を極めるのか。世の若者たちがどうしてデタラメなカルト教団に群がるのか。ただし、この問いはもはや宗教の問題だけではない。社会学の範疇にも属するというべきだろう。
 そこでカルト教団の行動様式と、連合赤軍などの新左翼の行動様式を比較してみたところ、全く同じなのである。無差別殺人、盲目的行動、そして、世の中を阿鼻叫喚の渦に突き落とす。
 その新左翼が下火になったのは1975年前後のことである。それから20年近くたってカルト教団に姿を変えたわけであが、ではその間彼らは一体どこに行っていたのか。
 そこで思い当たるのが親子殺し合いの家庭内暴力、いじめ、さらには最近とみにエスカレートした少年犯罪である。新左翼が下火になった頃から始まったこれらの家庭内暴力・いじめ・少年犯罪は、新左翼やカルト教団と行動様式が全く同型である。
 新左翼の場合、中核と革マルの闘争は、要するに殺すことが目的だった。理由などはなく、ただ殺戮が目的なのである。主義が違ったというなら、彼らは日本共産党を、いやいや、それ以上に自民党を殺さなければならなかった。
 いまのいじめにしてもまた然り。古典的ないじめは、ガキ大将がいて「俺の子分になれ」といっていじめたものだ。ところがいまや、誰が誰をいじめたっていい。いじめのベクトルが縦横無尽、変幻自在となった。誰が生贄になってもおかしくないし、誰がいじめる側に立ってもいい。全くの無差別・無目的という異常ぶりだ。
 家庭内暴力もまた同様で、「えっ、あんな子が」といわれるような子供が親を殺す。これもまた不条理である。
 それらの延長線上に、最近のまさに目をそむけたくなるような、少年の凶悪犯罪の多発がある。
 まず新左翼、それから家庭内暴力、いじめ、そしてカルト教団・・・。比較分析すると、原因は皆同じ答えを指し示す。
 アノミーである。
 いい教育を受けた人間が馬鹿らしい教義を信じたり、社会の中枢に立つべき人間が毒ガスや毒物を製造する。皆が皆、大変な病気にかかってしまった。
 少年や若者だけが病んでいるという話ではない。社会のトップ、例えば政治家だってアノミーだ。
 かくして、アノミーに冒され、箍のはずれた桶のようにはってしまった日本社会。

 日本を救う要諦は、宗教家、宗教学者、宗教評論家がもっともっと宗教を理解すること、いや、あなた自身が宗教を理解することである。ここまでこの本をお読み下さった読者は、すでに宗教の本質をおわかりのことと思うが。
 世相はますます混乱の様相を呈している。宗教事件ばかりか、幼児殺人、少女監禁・・・、目を覆わんばかりの悲惨な事件が引きも切らない現代日本。アノミーは解消されるどころか、ますます進行の一途をたどっている。日本が壊れるどころか、日本人が壊れてきているのだ。
 新世紀、事態はさらに悪化するであろう。
 ことここに至れば、日本を救うのも宗教、日本を滅ぼすのも宗教である。あなたを救うのも宗教、あなたを殺すのも宗教である。本書をここまでお読みになった読者は、宗教の見分け方を体得されたことと確信する。

(引用終了)

 「実践倫理宏正会」は宗教組織ではない。しかし、アノミー(無連帯)で崩壊しつつある日本社会を建て直そうと努力している善良な組織である。「南無妙法蓮華経」と唱えさえすればいいなどといういいかげんなカルト組織よりは、幸せに近づける道である。
 

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
「担当者」が紹介した『日本人のための宗教原論』小室直樹著で、日蓮正宗こそカルトと書かれている いやいや朝起会を続けている妻の夫のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる