今こそ「我も人ものために」 「倫風宏話」 平成21年11月号より

 (引用開始)
今こそ「我も人ものため」に

 先の見えない閉塞感が社会を覆っています。不況、倒産、非正規雇用、派遣切り、雇用不安、自殺、消えた年金、天下り、先細る医療と介護、少子化、いじめ、覚醒剤、万引き、振り込め詐欺・・・。社会が壊れかけているようです。先日の総選挙での政権党の地滑り的な敗北も、人々の不満と不安が一挙に爆発した結果でしょう。
 なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。私はその根っこには「利己主義」と「金銭至上主義」という、現代の病根があると思っています。
 今、世界は百年に一度の経済危機の最中にあるといわれます。1929年の世界大恐慌以来の危機だというのです。大恐慌と今の大不況、この二つの世界的な経済危機を招いたのもまた、利己主義と金銭至上主義であると、私は考えています。
 1929年、ニューヨーク株式市場の過熱と大暴落に端を発した大恐慌は、自由奔放な「市場原理主義」の行き着いた結果でした。その反省から、ルーズベェルト大統領はニューディール政策を掲げて、政府が市場に大々的に介入することで、ようやく長い不況から抜け出すことができたのでした。
 そしてまた、昨年来の世界的な金融危機も、元をただせば、アメリカの行き過ぎた市場原理主義がもたらした災いです。そべてを市場の自由に委ねるというこの思想は、そこに倫理観がなければ、容易に利己主義と金銭至上主義の温床となり、やがて人々を暴走に駆り立てます。
 今回の金融危機も、金儲けの欲望に膨れ上がったウォール街が、住宅や自動車から、クレジットカードに至るまで、あらゆるローンを証券化して世界中に売りまくり、信用バブルがはじけたことから始まりました。
 それにもかかわらず、利己主義と金銭至上主義は今も世界に蔓延したままです。人々は「儲けたもの勝ち」の競争に狂奔して、状況をよりいっそう過酷なものにしているように思われます。もし、このまま、弱肉強食の市場原理主義の横行を許すとすれば、経済だけでなく、地球環境も人の心も、破滅の淵に追い詰められてしまうでしょう。
 もちろん、多くの人がこれでいいとは思っていないはずです。しかし、まだ誰も、市場原理に代わる原理原則を見つけることができずにいます。
 日本で市場原理主義がもてはやされ、成果主義やリストラがブームとなり、非正規雇用が急増してきたのは、世紀の変わり目前後からだったように思います。
 その頃から私は、折に触れて「我も人もの仕合わせ」ということを申し上げてまいりました。あらゆる人の営みを「我も人もの仕合わせ」を前提として見直してみよう。どんな問題でも、「我も人もの仕合わせ」を前提として捉え直せば、自然により善い解決に導かれるはずだと考えたからです。
 たとえ市場原理に基づく経済活動であっても、この前提に立つかぎり、勝者と敗者、加害者と被害者という結果にはならないはずだ、と考えたのです。
 そもそも「我も人ものため」は実践倫理の根本精神です。我が会が提唱していることは、すべて「我も人ものため」の上に成り立っているものばかりです。当然、会友の皆様なら、すぐにご納得いただけるはずでした。日々の仕事や営利活動にも生かしていただけると思いました。
 しかも、私たちの社会には「お互いさま」を大切にする伝統があります。「自分だけ」より、「みんな一緒」が好まれるのです。だから、会友であろうとなかろうと、共感していただけると考えたのです。
 ところが最近になって、何度か同じ質問を寄せられるようになりました。「我も人もの仕合わせ」は素晴らしい教えです。でも、経済だけは別なのではないか。厳しい経済環境の中で生き抜くには、まず、自分の利益、自分たちの企業の利益を優先しなければ生き残れないのではないか、というのです。
 そんなとき、私は「経済」とは何か、辞書を引いてみてくださいとお答えするようにしています。なぜなら、ちゃんとした辞書には、「経済」という言葉は「経世(国)済民」という熟語から出たもので、「世(国)を治め、民の生活を安定させること」だという意味のことが書かれているはずだからです。
 「経済」が「世を治め、民の生活を安定させること」だとすれば、「我も人ものため」は少しも経済の邪魔にはなりません。それどころか、「我も人ものため」を前提にしなければ、世を治めることはできないはずです。「我も人ものため」を優先しないで、「自分のため、自分さえ」であれば、一家ですら治まりません。まして、社会を安定させることなどできようはずがないのです。「我も人ものため」を知らない社会は、利己的な金銭至上主義が、際限なく闘争を激化させる、熾烈で混乱した競争社会、国民生活の安定からは、ほど遠い社会といえるでしょう。
 つまり、「我も人ものため」では「経済」が成り立たないのではありません。「我も人ものため」でなければ、「経済」は成り立たないのです。
 なぜ、こんな誤解が生じたのでしょうか。答えは明らかです。多くの方が「経済」とは「金儲け」のことだと誤解しているからです。繰り返しになりますが、「経済」とは「世を治め、民の生活を安定させること」であり、生産活動を調整して、人々の仕合わせな暮らしを実現するシステムと活動なのです。
 それでは、「金儲け」と「我も人もの仕合わせ」は両立できないのでしょうか。これも否です。
 私たちは「我も人ものため」を心掛けて、財を成した多くの人を知っています。また、江戸時代に一代で商いを成功に導いた近江商人たちの経営理念も、「売り手より、買い手よし、世間よし」(売り手と買い手の双方に利益があって、世間のためにもなる)という「三方よし」の心構えでした。
 一方、他者を犠牲にして不当な金儲けをした人、法律を悪用し奸智を巡らして金儲けに走った人、職権を乱用して私服を肥やした人、利益追求をすべてに優先させて社会に迷惑をかけて恥じない企業。そんな事例も私たちは数多く知っています。その悪行がテレビや新聞で暴かれ、糾弾されたから知っているのです。
 先に、利己主義と金銭至上主義が世界中に蔓延していると申しました。自分の儲けのためなら何をしてもいいと思っている人、世の中の価値を金銭の高だけで考える人、すなわち、他を顧みず、「我も我ものため」に金儲けに狂奔する人々。そうした人々を許す社会が、ついには人の道を踏み外す人々を生み出すのです。
 現在の国際社会は、地球規模の市場競争と地球資源争奪戦の場に成り下がろうとしています。このままでよいのかと問えば、誰もが「否」と答えるに違いありません。では、どうしたらよいのでしょうか。
 経済活動もまた、「我も人もの仕合わせ」を目指して行われなければならないのです。
 (引用終了)

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